うつむく青年/谷川俊太郎

後悔 五つの感情・その一
あのとき ああすればよかったと
そんなやくざな仮定法があるばっかりに
言葉で過去を消そうとするけれど
目前の人っ子ひとりいない波打際は
目をつむっても消え去りはしない
せめて上手に後悔しようと
過去を苦い教訓に未来を見る事は
あの日のあなたのかけがえのない
こわれやすい愛らしさを裏切ることになる
くり返す波の教えるのは
ただの一度も本当のくり返しは無いという事
けもののように 言葉をもたなかったら
このさびしい 今のひろがりを
無心に吠えながら耐える事もできようものを



羞恥 五つの感情・その二
はじらうのはかくそうとして
どうしてもかくしきれぬから
そうしてかくそうとしたそれは
あなたの生命のふるえる中心
他人の眼にふれるとふれたそこから
あなたが溶けてなくなってしまう
そんなにあえかな心の芯
どんなに愛しあっていても
それをわかちあうことはできない
かくすのをやめたときから
それはかたくなに化石してしまい
伏せられた瞳の奥から星空へと通ずる道は
もっと粗野な怒りや悲しみのかけらで
すっかりふさがれてしまうのだ



軽蔑 五つの感情・その三
みつめるあなたの面差しに現れているものは
たえずかすかにゆれ動いて私を惑わす
あなたがあえてそれにひとつの名を与えても
私はその名を信じないだろう
名づけられた感情はその奥のより深い
名づけられぬ感情をかくすだけなのだ
だが言葉にならぬまま
あなたの目ら唇から
直接に放射されるものこそ私を傷つける
あなたの中のそんな鋭さのわけを
私は自分に探そうとするのだが
すでにその勇気すら失われている
私は青空の下の一塊の土くれのように
身動きできずに徐々に崩れてゆくのみだ


嫉妬 五つの感情 その四
私は王となってあなたという領土の
小川や町はずれのすみずみまで
あまねく支配したいと思うのだが
実をいうとまだ地図一枚もってはいない
通いなれた道を歩いているつもりで
突然見た事もない美しい牧場に出たりすると
私は凍ったように立ちすくみ
むしろそこが砂漠である事を
心ひそかに望んだりもするのだ
支配はおろか探検すら果たせずに
私はあなたの森に踏み迷い
やがては野垂れ死にするのかもしれぬが
こんな私のために歌われるあなたの挽歌こそ
他の誰の耳にもとどかぬものであってほしい
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人間はどうして互いにこうまで冷たくしていられるんだ。
それを思うと胸をかきむしり、脳天をたたきこわしたくなることがよくある。
ああ、愛だってよろこびだって、あたたかさだってたのしみだって、ぼくが提供するんでなければ、誰もこっちに与えてはくれはしない。
そうして冷然と力なくぼくの前に立っている人は、ぼくがどんなにたのしく胸をふくらませていたって幸福にしてはやれないんだ。






ぼくは実にいろいろなものを持っている。
しかし彼女を慕う心がいっさいをのみこんでしまう。
ぼくは実にいろいろなものを持っている。
しかし彼女なくしてはいっさい無となる。

ゲーテ/『若きウェルテルの悩み』より抜粋
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